どうもShionです。
2025年6月末に日本航空123便墜落事故現場である御巣鷹の尾根に慰霊登山をしたので最新の現地状況を共有させていただきます。
筆者は幼い頃よりこの事故を調べており、いつか現地に足を運びたいとずっと思っていました。
ようやく車の免許を取得できる年齢になったので10年越しにようやく訪れることができました。
今年は事故後40年の節目の年です。
航空に少しでも興味をお持ちの方は、JALの安全啓発センターとともに御巣鷹の尾根も訪れてみてはいかがでしょうか。
慰霊の園と事故現場の位置関係
日航123便事故は、実際に墜落した事故現場とは別に上野村の市街地で建立された慰霊碑があります。
それぞれ訪れていただきたい場所ですが、実際にはこの2箇所はやや離れた位置関係にあるのでこの情報を留意した上で足を運んでみてください
慰霊の園

慰霊の園は御巣鷹山慰霊碑(昇魂之碑)建立と同日の1986年8月1日に完成した追悼施設です。
墜落現場から北東へ10キロメートル離れた上野村楢原地区に慰霊塔や身元識別不可能だった遺骨の納骨堂として整備されています。
こちらには資料館も併設されており、筆者が訪れた際には墜落の衝撃でひしゃげたメガネフレームや血のついたぬいぐるみなどの当時の遺物が展示されていました。
アクセス
事故現場 (昇魂之碑)

昇魂之碑は実際の墜落現場です。
道は整備されていて30分ほどで登れる簡単な山道ですが、登山口までは車を使用する必要があります。
ここでは4名の生存者と多くの犠牲者が見つかったスゲノ沢や、コックピットが付近に激突したとされ救助捜索の起点としても使われたバツ岩を見ることができます。
アクセス
両者の位置関係
慰霊の園と事故現場は20kmほど離れており、車でも1時間弱かかる位置関係です。
そのためどちらを訪れるか、どの順番で立ち寄るかについては事前に計画されることをお勧めいたします。
また事故現場は山の奥深くですので落石や野生動物の出没に十分注意してお越しください。
登山レポート
私はまず「慰霊の園」を訪れた後、「昇魂之碑」へと足を運びました。
道中、登山口へ向かう途中の渓谷沿いは、釣りのための車のいくつかとすれ違いました。
しかし、灯りの少ないトンネルをいくつか抜けるごとに、周囲の空気は徐々に厳かさを帯び、まるで空間そのものが変わったような感覚を覚えました。
カーナビやAppleの純正地図では、登山口の手前までしか案内されませんでしたが、目の前の道はさらに奥へと続いていました。
そのまま車を進めると、やがて行き止まりに数台の車とショベルカーが見えてきました。最初はダムの工事かと思いましたが、車を降りてあたりを見渡すと、そこが御巣鷹の尾根への登山口であることに気づきました。


登山口には手作りの杖と入山者カウンターが設置されていました。
当日は非常に暑い日だったにも関わらず、歩き始めると木立で日差しが遮られ涼しく案外快適で、背中を押され山の上に誘われているような清々しくも不思議な感覚がありました。
途中、当時NTSBの委員長だったジム バーネット氏による「御巣鷹の尾根登山で、私は霊感を受けました。途中、私達はいつも沢沿いに登りましたが、私には、なにか水の流れが、私達に語りかけ、登山を励ましてくれているような気がしました。」という碑文があるのですが、実際に訪れてみると確かにその霊感(英文版ではSpiritual Experienceと表記されています)を肌に感じるような体験でした。
かなり急な山の斜面を時間をかけて整備して、簡単に登れるようにしていただいたことへの感謝と共に、当時ほぼ未開拓の状態で救出に向かった方々の苦労が偲ばれる道中でした。

沢沿いの道をたどりながら山を登っていくと、やがて道端に、事故を伝える碑や像が一つ、また一つと姿を見せはじめます。
その数が増すにつれ、ここが単独機では世界最大の惨事となった墜落事故の現場であるという事実が、静かに実感に変わっていきます。




やがて山の斜面全体が視界に開けると、無数に立ち並ぶ墓標が目に入ります。
今では緑あふれる土地が40年前には凄惨たる様相を呈していたことを、ここに残る沢山の碑が証人となって教えてくれます。
しかし予想外だったのが、たくさんの方が亡くなった現場にも関わらず重苦しい空気はなく、むしろ気持ちのいい澄んだ印象でした。
斜面を登っていくと少し拓けた場所で、そこに昇魂之碑はありました。


最後の激突の数秒前、失速して真横になった機体の右翼が最初に山肌に接触したとされる「U字溝」は昇魂之碑と向かい合うように位置していました。
昇魂之碑のさらに奥には、持ち主不明の遺品の埋設場所と犠牲者の写真がたくさん飾ってある小屋があります。
そこからさらに登っていくとバツ岩があります。
バツ岩とは最後の衝突で機体が逆さまになりながらコックピットが激突した岩です。
墜落時には機体大部分に数百Gもの衝撃が加わったことで、機体上部の2階席から機体前部と主翼付近の構造体は原形を留めないほど破壊され、コックピットにいた3名はバツ岩付近で遺体の一部のみが発見されたそうです。
この岩は救助時には救助捜索の起点として群馬県警察が目印としてバツ印を記したそうで、ここを管理している方の話によると「理由は分からないが昔から決してエックス岩とは呼ばずバツ岩やバツ字岩と呼んでいる」とのことでした。
偶然にも、私たちが訪れた日は、5年ぶりのペンキの上書き作業が行われており、山を管理されている方から直接お話を伺える貴重な時間にも恵まれました。


ここで印象的だったのはコックピットクルー3名の墓標が本名ではなく戒名で書かれていたことです。
私は宗教史に興味があったことがあるので戒名について知識があり、それがすぐコックピットクルーの皆様のものであることが分かったのですが、本名を伏せ戒名だけを記載していることは事故当時のバッシングなどの事情かと愚推せずにはいられませんでした。

バツ岩の横を通り過ぎると次はスゲノ沢に降りることができます。
筆者は山小屋から昇魂之碑を経由しバツ岩まで登り、スゲノ沢から下山しました。
スゲノ沢は機体が尾根に激突して炎上する際に機体後部が崩れ落ちた場所で、斜面がクッションとなり転がったことで衝撃が和らぎ、結果的に生存者の全員が発見された場所となりました。
他の場所に比べスゲノ沢は気絶しているのか亡くなっているのか見分けがつかないようなご遺体も多かったようで、生存者の証言によると墜落直後はまだ多くの方が息をしていたそうです。
しかし生存者がいたとはいえ、スゲノ沢は山で最も墓標が密に並んでいる場所でした。
生存者が発見された場所についての目印はありませんでしたが、生存者のご家族の墓碑が密集している場所があったので大体の検討はつくかと思います。
(ただし移設などで実際の発見場所と異なる可能性はあります)
墓標を写真に収めることは避けていたのですが、スゲノ沢に関しては墓標を画角に収めることなく写真を撮ることができなかったので、実際に現地を訪れてご覧になってください。
緑が生い茂る現在の沢は当時の悲惨な様子を思わせず、自然が40年の時間の長さを教えてくれます。
しかし同時によく目を凝らすと明らかに植生が変わる境界があることや焦げた木の痕跡、そして大量の墓標と碑文で当時の悲惨な情景を想像することができました。
近年は世界中で重大な航空事故が相次いでおり、たった2週間前にはインドで241人もの方が亡くなる大事故も発生しています。
時間を巻き戻すことはできませんが、事故を風化させず過去の教訓を次世代に受け継ぐことは航空産業に携わる全ての人間の義務であると今回の慰霊登山で改めて痛感しました。
また筆者はスゲノ沢の最下部でメガネレンズの一部のような形をした透明な破片を発見しています。
これが当時の遺物かは分かりませんが、未だに新たな遺留品が発掘されているとのことなので、もしかしたら事故原因を覆すような発見があるかもしれません。
改めまして、この事故で遭難された全ての方のご冥福をお祈りいたします。
慰霊登山をされる際は足元に十分お気をつけて行ってらっしゃいませ。




















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